ディアがジャニー喜多川を撃てないのは、彼らが享受している利権構造の共犯だからだという指摘が多いが、それだけではないという気がずっとしている。

アイドル消費には、精神の根底にある「隠された」サブリミナルの<黙契>があり、それがメディアの躊躇いを誘い、本来ならもっと激高してしていてもおかしくないファンたちの「沈黙」を生んでいるのではないかと思う。

ずばり言えば、アイドルビジネスは「欲情」の商品化である。
この前提を無視しては、今回の問題はもちろん、巨大産業となったアイドルビジネス全体が理解できない。

レスリーやビートルズらを嚆矢とする「メディア偶像」の巨大化も、元は、若く躍動的な青年が持つエネルギーをメディアが増幅した結果だ。本来なら彼らと「一対一」の関係性を持つべくもない市井の同世代の若者が、その性的磁力に吸い寄せられ、一種の関係妄想に陥り、マス化することで、その影響力を巨大化してきた。
そもそも芸事自体、演者の性的魅力を見えない磁場とした催眠行為の側面を持つ。映画やラジオ、テレビやインターネットなど全てのメディアもまた、個々のタレントが発したフェロモンの集積によって怪物化してきたのだと断言してもいい。

単に「ジャニーズ事務所」だけの問題ではなく、メディアは根底的に「人買い」ビジネスであり、ドライな女衒行為・売春行為で権力を積み上げてきたのだ。それをあからさまに認めることは、自己否定につながる。表向き「報道機関」を名乗り、公共性をその存在意義に挙げるのは」、大衆の欲情を煽り、麻薬ビジネスを推進してきた基幹構造を覆い隠そうとする本能ゆえだ。明言しなくても、メディアの持つパワーの異常さが、「大衆の下半身をくすぐってを誑かしてきた」からであるのは、だれもがわかっている。

アイドルビジネスは健全な娯楽などではなく、「人買い」と「麻薬密売」であり、自分たちはその共犯である自覚があるからこそ、メディアはジャニー喜多川を撃てなかった。ただそれだけの話である。

ャニー喜多川は「少年美」を商品化することにかけて天才的嗅覚を持った司祭であり職人である。

女性の本能的な美学と性欲を喚起する「少年」の素材を的確に選び出し、磨きあげて、音楽とビジュアルでパッケージして市場に送り出す。
それらの商品は、メディアを通して流通し、決して「性」のゴールであるセックスの現場には到達しない。ベッドでの消費は許されず、「イメージ」に精製されて、脳内で完結する売春行為であるがゆえに、ラストワンマイルが欠落したまま聖化され、渇望が常に次の消費を生み出す。

回明るみに出された、<商品たる少年たちの生身の性を、ジャニー喜多川当人のみが消費する>という構造は、「いかなる女も私達の偶像には触れない」という契約を意味する。

これまでも何度もジャニーのセクハラ行為の実態は告発され、ファンには非公式に共有されていたはずである。それでも、ファンがその行為を黙認し、むしろ神話の一部として了解してきたのには意味がある。
要は、ジャニーの行為は、彼を依童にした代償行為=ファンすべての性欲を吸い上げ、その代理人として認知されてきたからではないか。そもそもジャニーズが築き上げてきた巨大なアイドルビジネスは、ジャニー喜多川の美学と欲望の集積であり、ファンはその神話体系の信者なのである。

醜く老いた司祭が、美しい少年の肉体を蹂躙し、消費するという物語は、そのまま「やおい」やBL小説の消費と同じ原理=「私達には触れ得えぬ美」を貪る暴力的な怪物の支配と蹂躙の神話構造を持っている。私はこのジャンルにはあまり強くないが、その狭い守備範囲で得た直観で言わせてもらえば──『トーマの心臓』や『残酷な神が支配する』などで萩尾望都が示した、耽美的かつ暴力的なプロットにその原型を見ることができると考えている。

唯一許された「聖域の蹂躙者」としてジャニーは、ファンの潜在的な支持を受け、むしろ積極的にその犯罪行為を行ってきたのではないか?


ァンはCDを買い、コンサートに詰めかけ、グッズを買い漁るだけの「カモ」ではなく、ジャニー喜多川の生み出した美少年カルトの信者であり、真夜中の密かなる少年たちへのイニシエーション授与は、ファンたちの総意であったのではないかということだ。

同時に、少年たちはその神話の登場人物となるべく、ジャニーの行為を受け入れ、その後押しを受けてメディアの神として振る舞ってきた。いわば、ジャニー教の現世利欲を受け入れた教団員なのである。

彼らが口々にジャニー喜多川への親愛を述べるのは、そのせいだと思う。強制された性行為の理不尽さを訴える告発者ですらも、彼の慈愛やビジネスに関しては批判じみたことをまず口にしない。

それは、ジャニーズビジネスが巨大な少年愛宗教団体だからに他ならない。創始者ジャニー喜多川の「聖別」と「祝福」を受け入れ、「聖職者」として祭祀を司るのがジャニーズタレントであり、ファンは一般信者として崇拝と供犠を捧げる。

ャバの理屈からすれば、全てはポルノビジネスであり、麻薬売買と何ら変わらない「大衆の阿片」をばらまくヤクザ仕事。搾取と欺瞞と人権蹂躙の巣窟だと思うし、洗脳者と被洗脳者がもつれ合う地獄絵図であるとも思うが、宗教とはシャバと異なる世界観を共有し、その枠内にあってこそ生を意味づけられる価値観大系である。

そんなカルト宗教と神話を前にして、法ができることはごくわずかなことしかない。「社会秩序」優先で行くならカルト同様、強引に法のラインをズラしてでも潰せば良い。経済効果を優先してお目溢しするなら、お灸を据える名目で少し締め付け、上納金を更に課して、政治の利権にすればいい。

何れにせよ、当事者たちは何も変えたくないし、何も自覚したくない。ただ、幻を見て酔って、踊り続けていたいだけなのだ。

論を承知で言おう──今回告発に至った離反者・ジャニーズを離れた人間ははもちろん被害者だが、ファンを含め、ジャニーズ影響圏内にとどまった人間に限って言うなら、今後被害者を標榜する人間はもう出ないのではないか。

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※本エントリーはFBの柳瀬博一氏の投稿

https://www.facebook.com/yanasehiroichi/posts/pfbid032RH788uwiwNb1Y4c528rSrG5XZxc1yy816SCLgQkH59KUUiKcchPc8F7JRczohd4l

の感想として書いたが、ライブドアブログとの相性が悪いのか、うまく引用できないのでリンクのみ掲載する