吉本興業の謝罪会見が、壮絶にスベった理由 (1/5) - ITmedia ビジネスオンライン

ラック企業もセクハラもパワハラも毒親もDVも、そして「私が森羅万象を統率している」とのたまう安倍某の占有政治も、問題の根っこは同じなんだろうなと思う。

「生殺与奪権を持つ側」は、支配下にある弱者とフレンドリーに関係性を維持している“つもり”で居る。 ルールを自分が決め、ジョークや脅し文句までのすべてに、自分の都合のいい受け取り方を強制しているから、ストレスは皆無。相手が自分の言葉に従うのが、常態だとおもっており、その前提において、自分はユーモアも解し、相手の人権にも配慮しているーー“つもり”。己がふるまいの怪物性にはまったく気がついていない。

それが今日の暴君だ。

力の不均衡は当然のことで、その前提において「お前を認めて“やっている”」のが寛容だと信じて止まない。当然対等な対話はできない。

「反論がないのは自分への友愛(忠誠)の現れ」と、勝手に解釈し、思考にも視野にもピンク色の靄がかかって、もはや客観的な情勢判断ができないほど自我が肥大してしまっているのだと思う。 それはすでに一種の関係妄想だ。ロジカルに自分のアンフェアさを測ることが出来ない。一対一の濃密な、恋愛関係にも似た共依存で、支配者/被支配者のロールに浸っているので、もはやフェアネスは成立のしようがないのだ。

びれを切らした被害者が一般社会に向けその癒着関係の異常を告発するに至って、ようやく増上慢の密室の扉が開く。“外の世界”では、当然支配者として居丈高に振る舞うことができなくなる。 会見などの場で、加害者側に一様にウロが来て見えるのは、芝居でもなんでもない。 相手が自分の支配下にないこと、取り結んでいたはずの「共存」が幻想でしかなかったことに、ガチでショックを受けているからだ。

ただ、唯一、安倍某のみは、その妄想関係を下支えする官僚とSNS、そして選挙民の忠誠で、共同幻想が維持され、疑似密室を構成しているので、未だフィクションの膜が彼を保護して、腫れ上がった自我の壁を突き崩すことが出来ていないのだが。

ーーあの目の焦点の定まらなさ、発言の右往左往は、未だに「わが世のお花畑妄想」に浸り、それを維持するためにはどんな嘘でもつける。いわゆる二重思考が脳を支配しているのだと思う。 万能感の幻想が崩れると、彼の最大のトラウマである、第一次内閣破綻時の敗北感が蘇るのだろう。常識的に言って、一人前のオトナがよくあれだけ破綻した嘘と中身のない恫喝を繰り返せるなと思うのだが、病的な詐術は概ね己の内面の脆さを自覚した者の最後の砦/防衛機構だ。妄想のガードレベルを高く強固にかためて「オレサマ幻想」を守らないと、切羽詰まった挫折感が襲いかかってくる。

あの鉄面皮は、恐怖に裏打ちされた心理的防衛ラインであり、多分、然るべき臨床医に見せれば、重篤な問題が浮上するほど、身心喪失状態にあると思われる。

ほど左様に、多分この国に蔓延しているプチ圧制者の多くは、ケツに火がついて崖っぷちの転落恐怖心理と闘っているサイコなのだと思う。個々にトラウマの対象は違うのだろうが、それぞれにマッチョイズムで己を鼓舞し、目の前の破綻や、不安に直面しないために「保守的で厚顔な振る舞い」を鎧のように被って、被支配者を踏み台にして生き残ろうとあがいているのだと思う。

かつて豊かだった時代の自信満々なフィクサーやボスたちのような、リーダーシップは彼らにはまったく無い。言葉やヴィジョンも場当たりで、常に腰が座らず、また配下の面倒見もよくない。 ただただ「オレが食わせてやっている」という虚妄にしがみついて、人をこき使い、収益を巻き上げるのに腐心するのは、己が実力でその地位についたという手応えがないからであろう。何らかのごまかしや詐術、真っ当な競争をするでパスしたという後ろめたさがあるのだと思う。 すでに名声の確立した組織の看板を、システム内の勝ち残りゲームをすり抜けただけの者ほど、そういう頼りなさ、腹の座らなさを感じさせる。

だからこそ彼らはフレンドリーな上司を演じ、配下との「家族的/部族的な結びつき」を強調する。 その姿は、安倍某が日本会議の主張に寄りかかり、お笑い芸人やミュージシャンなど“下々の良い子”との関わりを強調するのと同じ、“オモネリ基盤の良いパパごっこ”に興ずるのと似ている。

ーーその実、ポンポン痛い閣下の“ご家庭”に子供はいない。妻はメンヘラ家庭内野党、ジジババは美化された記憶の中にだけ存在する偶像。故人の父に至っては言及されない黒歴史である。 家長として、集団のトップとして君臨するには、内実がなく、また彼ら自身、自己懐疑が強すぎるのだ。

日本という国を支える個々のシステムが硬直化し、古び、内向きになってしまっている証拠かもしれない。冒険を恐れ、汲々と現状維持を臨み、前例のない物を縛って、若い芽を摘むことで、「半世紀も前に終わった夢をまだ見ようとしている」保身だけに励むプチ安倍が、この国に蔓延しているのだ。

が泳いだカルトの教祖みたいな連中が、己の脳内のお花畑を維持するための、配下の人間の生活を圧迫し、脅迫してその妄想体型に従わせる一億総カルト化状態に陥っているのに、なぜ革命が起きないのか。

それは、被害側も(支配/被支配を肯定する)同じ物語を共有してしまっているからだ。 己の日常から立ち上がった、健全な批評精神が育っていないから、先日の吉本芸人の会見のように、告発の場であってすら、悪夢の中をさまよっているような迷いを語り、己が告発しているはずの組織に対して「感謝しか無い」という矛盾した言葉が口をつくのだと思う。 自分の実力で地位を築いてきたのだという矜持もなく、ただ組織の看板に頼っていたという思いが、彼らを負け犬にしている。

何が敵で、何が問題なのか。自分たちの幼稚な反抗心や欲望で起きた騒動ではあるが、その背景には組織側の搾取があったのだという、問題の絞り込みもしないで、ただ「親分に冷たくされました」と告発しているだけ。 その負け犬根性が、あの場の湿った空気を醸し出していたのだと思う。カルトの洗脳が解けきっていない信者の寄る辺ない心理を、目つきの揺れに感じた。

労使共に病んでいる。
岸田秀的に言えば、「一億総幻想(発狂)状態」といってもいいのではないか。