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「Live Wire」Inside

Public Talk (「トークライブ」は和製英語)シリーズ「Live Wire」を飽きもせず運営している、新宿5丁目[ High Voltage Cafe]のblog。いつの間にか600回を超えて、記念回をいつも後で知る体たらく。「客席も喋るトークイベント」として始めたのはいつのことやら、何のことやら。 http://livewire.tokyo

2017年11月

29 11月

『スパイたちの遺産』ジョン・ル・カレ

当初はなぜ今さら冷戦時代の話、それも綺麗に完結していたはずのサーカス物の続編なのかと執筆意図を訝しみ、アシモフの如く、過去作品のタペストリ化願望に取り憑かれたではないかと、かなり構えて読み始めた

しかし、その懸念は(ありがたいことに)杞憂に終わった。

本作にケンブリッジ・サーカスの幽霊一座が呼び戻されたのには、十分な理由がある。決して「あのスターは今」的な懐メロ番組を演じさせるためではない。2017年の世界情勢(そしてイギリス)に対する異議申し立てーーこの半世紀ずっとル・カレ作品が描いてきた主張と世界の現状との離反・衝突を描くためには、どうしても20世紀・冷戦時代の亡霊たちを現代に召喚する必要があったのだ。

執筆の大きな動機となったのは、昨年に巻き起こったブレグジットへの動きーー国際協調に背を向け、内向きに傾斜する盲目的な保守回帰への抗議だろう。

冷戦期間という悪夢の時代を、まるでなかったことのようにし、協調から対立へと再び歴史を逆流させようとしている世論に対する怒りが、この作品を書かせたのではないかと思うのだ。

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かつて闇に葬られたスパイたちの暗闘の記録ーー『寒い国から帰ってきたスパイ』の主人公であったアレックス・リーマスらの事件を、その子孫たちが国家賠償という形で世に出し、被害家族を名乗ることで儲け話にしようという。その結果、作戦の立案・実行に関わったジョージ・スマイリーとその部下ピーター・ギラムは、“被告”として法廷に引きずり出されようとしている。

ジョージは事件の勃発を察知したかのように姿を消しており、唯一連絡がつくギラムが、その代理人として現情報部の呼び出しを受ける。リーマス事件の顛末を記録した書類はすべて省内から持ち出されて、かつてジョージの設置した隠れ家に隠匿されていたーー書類持ち出しの当事者でもあり、“被告側”の一人でもあるギラムは、弁護士チームたちと書類を読み解き訴訟対策を練らされる羽目となる。しかし、リーマスの死に関連して、ギラム自身にはどうしても探られたくない「個人的な秘密」があった…。

そんな“訳あり当事者”ギラムの視点を借りて、時に命を失い、時に人生を棒に振ったスパイたちの悲惨と、その後家族たちが辿った暗く重い末路、その運命の堆積層をル・カレは丹念に採掘して行く。

苦痛と悔恨に満ちた逆打ち巡礼の旅はやがて、ギラムが慎重に嘘の山に紛れ込ませた「至極個人的な事情」の地層にまで至る。生爪を剥がれるような記憶のリバウンドに苦悶する彼の姿は、冷戦構造により踏みにじられた何百万もの「虐げられた人々」の魂に呼応するものだ。(その隊列にはもちろん無残な死を遂げたリーマスとその恋人エリザベスも含まれる。)

かつて『寒い国から』は冷戦最前線の非情な実相を描いたが、ル・カレは今作でさらにその深奥部に踏み込み、市民の気まぐれな感情が、理と知でかろうじて保たれてきた平和の防波堤をたやすく押しながしてしまうーー国家の気分/世論形成の構造自体に怒りを振り向けているように感じた。

安易に保護主義に回帰していけば、戦後半世紀を越える冷戦スパイたちの密かな活動の意義は無になり、ふたたび社会は野蛮な「戦の季節」へと逆戻りすることになる。

今回のサーカスの“敵”は、かつての「寒い国」の同業者たちではなく、同じ英国に属しながら、目先の利得しか目に入らず、歴史から学ぶことのない一般市民ーーひたすらこすっからく、負け犬意識に憑依されたリーマスの子孫たち。

いわばこれまでスマイリー達スパイが“身を削って”守護してきたはずの国家=英国国民の意志と対決する羽目になったのである。その浅薄さはEU離脱に奔った保守派の高齢/中年層のキャラクターにストレートに重なる。一度は克服されたかに見えた“英国病”の根強い再噴出であり、最後のあがきでもある。母国イギリスを支配する国民の愚昧を、ル・カレの筆は容赦なく告発していく。

今作で、冷戦当時“絶対悪”の象徴のように描かれていたムントやカーラら「寒い国」の悪玉たちの存在が、かつてになく矮小に描かれているのは、衆愚の悪との意図的な対比を狙ったものだと思う。

時の権力者は所詮ポピュリストでしかない。そもそも暴虐の主は誰に操られてきたのか。そして「21世紀の悪霊」は国家の何処に宿り、どのような手順で平和を脅かすのかーー2017年現在のル・カレの問題意識のありかを、そこから読み取るべきなのだろう。

かつてのスマイリー三部作や『パーフェクトスパイ』のようなどっしりした大作ではさすがにない。しかし、それも決して年齢で筆力が鈍ったからではないと思う。「今これを言わねば」というル・カレの切迫感が作品をコンパクトにしたのではないか。テーマの時事性から言っても、緊急ステートメントとして書かれた作品だったと見るべきだろう。

無論、御年86歳という彼自身の肉体の“耐用期間”切れで、作品の骨子となる最後の“大演説”が世に残せない危険を鑑みて、端折った部分はあるに違いない。特にジョージ・スマイリー失踪の解明は非常にあっさりしていて、かつてのル・カレなら、もう一章か二章分は読者を引きずり回しただろう。(肝心の裁判の顛末に至っては……あまりにも見事な“整理”ぶりに唖然とするほかない。)

そうした惜しさはあるものの、ル・カレらしい細部の緻密さ、芳醇さ、「無味乾燥な記録文書」の解読から刹那の人生を浮かび上がらせる文学的趣向は、相変わらず見事なもの。夜を徹して読むにふさわしい作品だった。
19 11月

投げ銭と仮想通貨

Livewireの初期に、サイト内だけで使える独自通貨を開発し、動画無料配信と投げ銭を組み合わせた独自システムを運用出来ないか考えたことがあった。


色々小理屈を積み上げて、技術協力を仰いだ友人に無理を言ったりもしたのだけれど、なかなか意図した感じが上手く伝えられなかった。所詮プログラム知識のない人間のサービス設計は絵に描いた餅だったなと、未だに思い出すと苦い思いがこみ上げてくる。


ビットコインは当時まだ流布していなかったが、ローカルの環境や主催者の思惑など制約の多いサイト内通貨ではなく、ネットのどこでも使えるグローバルな仮想通貨でよかったのだ。パソ通世代だったため、ネットの野放図さについていけておらず、なんとかニフティのコージーなコミュニティ感覚をもう一度、みたいな余分なことを考えたのが足枷になったのだと思う。早い話が、ネットの広大な新天地に、わざわざ通行不便なニュータウンと、地域にしか通じない駅前商店街の金券を作ろうとしていたのだ。


実はさらに十五年ほど前にも、メーリングリストと掲示板を折衷したネット内パソ通プラン(プロジェクト名「メガフレンズ」)を、某シンクタンクに売り込んで予算をつけて貰ったことがある。当時まだ三十代前半だったが、既に頭が硬かったため、あれやこれやと余分なことを考えて、現実性を削いでいたなと思う。上手くやれば日本版フェイスブックとまでは言わないまでも、mixiよりも気の利いたSNSが作れたはずだったのだが、まだ頭がニフティの雛形に縛られていたのと、当時は有り得ないとされていた実名登録と、b to bでの使用を主張して、プロジェクトリーダーの不興を買い、船は山に乗り上げた。


おゝフィッツカラルド。


その弔い合戦のつもりもあって、性懲りも無く立ち上げようとしたのが、サイト内通貨で縛ったSNSコミュニティ、というわけだ(執念深い)。


メインの通貨自体は、非常に単純な仕掛けで、ショップカートや経由で、「プリペイド金券」をクレジットカードで買ってもらうだけの話。それをサイト用の財布に入れて使う→余れば何割か割引きで換金も可能(ようするに手数料を引いて払い戻し)、という仕掛け。


個人の人定はカードを使うことでクリアできるので、あとは購入記録との照合だけでいいという発想。


カード会社がサイトオリジナルのブランドカードを作らないかとやたら誘ってきていたので、その販促を兼ねて、会員データベースの管理をブラックボックスで丸投げしてやれと企んだのだ。(酷い話だ)


とはいえ、勝算はあって、コンテンツ評価と買い物両面で使えるうえ、匿名同士の会員が匿名のまま、ギフトにコインやショップで購入したリアルのギフト品を贈り合えるなど、プレゼントに使えるショップと言うのが当時のウリのひとつだった(カード登録情報に、住所が紐付けされているので、相手からのプレゼントの意志を受け入れたら、実住所を相手に知られることなく、受け取りができる。)ネットアイドルやネット愛人への貢物で商売が膨らむかもなあ、みたいな皮算用までしてほくそ笑んでいたのは、ナイショだが事実だ。我ながらなかなか腹黒い。


先にも書いたように、その使用先は自前のサイトに限られていて、SNSで発表される動画やテキストへの評価の投げ銭、そして通販、加えてサイト内メッセンジャーでの交流などに使う。早い話が、Facebookとアマゾンとyou-tubeと会員同士のメッセンジャーを統合して、共通ブラウザ的な仕掛けでひとつのサービスに統合したもの。そのプリペイドコインを軸に、日常必要なネットサービスをすべて一本化して、他のサイトに出て行かなくてもネットの概ねの機能「つながる」「調べる」「買う」ができるようにしようと考えていたのだ。


中には、ずっと店主が顔出しチャットで店番をしていて、来店者に商品売り込みをする、レンタル型のショップカートサービス「hinemos(ひねもす)」や、あらかじめ登録してある興味や話題が重なる人間同士が、検索でグループチャットへと移行する「ゆんたくサーチ」など、ちょっと変わったサービスを準備していたりもした。(前者のサービスはすでにメルカリなどで実現しているので、バラしてもいいかと思って書いたが、5年前には十分最新のアイディアだったのではないか……と、悔し紛れに自賛しておく。)


もちろん身の程をわきまえぬ規模の恐れ多い話。ワシらの資金力&技術、コンテンツ力では全く手の届かない、どえらい規模の構想が頭にあったのだが、まあ眼高手低・オトナの中二病的産品と謗られても仕方ない。


そういう気宇壮大なことを考えがちなドシロウトにありがちなことで、全くブロックチェーンの知識などなく、セキュリティへの配慮はお手盛り。(カードの与信を人物同定システムに使うことで、セキュリティをすべて担保できると過信ーー要するに“コイン偽造”の危険を超甘く見ていた)よくそんな乱暴なことをやろうとしたものだと、今になってびっくりする。


もう少し先まで仕様を詰めていくことができていたら、もしかしたら技術的要請としてその壁に行き当たることもあったのかもしれないが、我々の構想はあまりに稚拙で、そこまでも行き着かなかった。


結局、地に足がついていない茫洋で巨大なイメージばかり積み上げているあいだに、当時休職中で時間だけはたっぷりあった開発者も本業が忙しくなり、話は立ち消えになってしまった。


今思えば、「使う側の楽しさ」=イチビリを共有するお祭り感が欠け、ただビジネスになりそうと言う動機ばかりが先に立っていたから、「ここだけはどうしても」の軸が曖昧だったし、イメージを具体化できなかったのだなと思う。


優秀なアイディアは、もっと軸だけがしっかり太く、シュアで明快なもの。開発者が細部にわたって、先回りして気を回しすぎた商品は、結局つかい手にとっては不便なものになってしまうのだと思う。


枝葉は使用者が勝手に面白がって膨らますものなのだ。
風通しの良さ=便利さであって、余分な機能面の作り込みなど必要ない。
その単純な事実に思いが至らなかったのが、最大の敗因だった。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1711/13/news032.html

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