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「Live Wire」Inside

Public Talk (「トークライブ」は和製英語)シリーズ「Live Wire」を飽きもせず運営している、新宿5丁目[ High Voltage Cafe]のblog。いつの間にか600回を超えて、記念回をいつも後で知る体たらく。「客席も喋るトークイベント」として始めたのはいつのことやら、何のことやら。 http://livewire.tokyo

2017年12月

30 12月

切実さの欠如ーー電撃座撤退反省記

余裕をこいて散漫に持て余していた店を、経営難で放り出さざるを得なくなった。
本年末で、昨年の7月から落語専用に切り替えて運営していた一号店(旧「Biri Biri酒場」→「Cafe Live Wire」)「マイクロシアター電撃座』を閉店することにしたのだ。

今回はその失敗の顛末と反省の弁を述べて、自らの公開懺悔を行っておこうと思う。

「散漫にやっていた」と書いたが、コンセプトチェンジ後も事業をサボったつもりはない。それなりに時間を費やし、エネルギーを注いで、プロセス全体も楽しんだつもりだが、やはり全身全霊を傾けていたとは言い難かった。そのわずかだが、心の浮いてしまった間隙がどこに生じたかを、ここでは具体化してみようと思う。

落語興行は、そもそもが他人のサジェスチョンで始めてしまった請負仕事だった。僕は関西の出なので、江戸前の落語には疎い。漠然と話芸としてのリスペクトはあっても、プロデュースができるような知識も見識もない。

ただ、世話人として噺家にコンタクトしたり、番組編成を引き受けてくれる人が居たので、トークイベントの合間合間に興行を組む形で、2014年に二毛作体勢が始まった。二年ばかりその状態が続き、徐々に本数の増えてきた落語興行を、
去年夏の二号店の出店を期に、一号店に集約してみようと考えたのだ。

ただ、もう一歩深く足を踏み入れてみると、
(どこの世界もそうだが)軒先を貸していただけの時代には判らなかった、さまざまな面倒が浮かび上がってきた。

当初は、漫然と落語専門店をやるのではなく、ど真ん中にトーナメントスタイルの二ツ目さん興行を連続で開催していく「R-2グランプリ」(RAKUGOの「R」、二ツ目の「2」)という企画を据え、決勝トーナメントはオオバコを借りて開催、ネットやテレビも巻き込んだ王者決定戦をやろうと考えた。日々の興行はその伏線として対戦形式の落語会を多数運営して、コンセプトの普及をまずやっていくという方針で進めていた。要するに前職であった格闘技界の前例にしたがって、K-1 GP開催前に単体興行の年間シリーズのなかで勝ち負けの序列を作り、その一発逆転装置として一年の締めくくりにGPシリーズ三回、16人エントリーの勝ち抜き興行をドーム開催、年間王者決定という形式を踏襲しようと考えたのだ。

だが、結論からいうと、そういう「力比べ」「腕試し」モノは落語界では嫌われる傾向が高いのが判ってきた。

そもそもが技量と人気が必ずしも対称関係にないのが表現の世界というもの。
特に伝統芸の世界の秩序は、それを可視化しないことで安定を保っているようなところがある。

トーナメント形式で勝ち負けを決めていっても、それは絶対評価軸にならない。
なにしろ勝ち負けを決める度量衡がないからだ。全試合が「判定」でしかきまらない。仮に「識者」の技術点のみによる切り分けでも、数値化出来ないものが多く含まれいるし、そもそも「笑い」や「艶」など数値化できるわけもない。結局曖昧な部分が多く、人気投票に終わってしまう。

人気投票は人気投票でいいではないかと居直ったところで、「勝敗」で「価値」を可視化されてしまうのは噺家当人で、その痛み(と栄光)を引き受ける覚悟を持ってくれと強要することは出来ない。

実際相模原の二ツ目勝ち抜き戦やNHK新人賞のような例外はあるのだが、我々のような新興のハコがいきなり企画をぶち上げても乗ってくれる噺家さんが居ない。そこを乗り越えるのには、まずプロモーターと演者の信頼関係醸成しかないと、野心を隠して日々粛々と単体興行を積み重ねて、噺家さんとの関係強化を進めていこうというのが序盤の発想だった。

しかし、一朝一夕に信頼関係など成立するものではない。また会を重ねていくにしたがって、会場のスペックに不満を漏らしたり、集客がうまくいかないことで軋轢も生じてくる。信頼関係を積み重ねるどころか、不審不満を積んでしまうことも多かった。

また野心的な企画を仕掛けても、結局演者さんの顔色を見て、引っ込めてしまったり、弛めてしまった事も多かった。演者のプライドや業界の慣行を優先せざるを得ない事態が続き、落語という世界にはなかなか独自性を持ち込む余地がないことが判明してくる。結局、トーナメントはおろか、企画自体もどんどん穏当なものが増え、他所の会場との差別化も出来ず、腫れ物に触るように、客と出演者の両方に気を使うばかりで、自分のやりたい領域にハンドルを切ることはできないまま一年間を穏当に穏当にと過ごすことになった。

実際、あの会場の作りは、アバンギャルドなトークイベントだから面白がってもらえるギャップに満ちており、靴を脱いでスリッパで上がることや、背景に大型モニターや本が居並ぶ会場の作りも、保守的な演者には嫌われた。もちろん楽しんでやってくれる、野心的な噺家さんも多々いらっしゃったが、不協和音の方が響きやすいもの。その響きにいちいち動じては、蓋をして回るいたちごっこが続くようになり、次第に心身共に疲労感だけが募る毎日となった。

まあそれでも「お役に立てることがあるならよろしかろう」とボランティア気分とでも言おうか、何処か他人事で、会場の運営は続いたのだが、
フワフワした曖昧な領域を抱えたままの運営は、浮上する要素を作り出すことが出来ないまま進んでいった。やりたいことの軸が定まらない他人任せとルーティンに堕してしまったので、事業全体に対するグリップが甘くなっていたように思う。

何があろうとこのビジネスは、ショウ・マスト・ゴー・オンが原則ではあるのだが、毎月の家賃も決して安くはない。出ていくモノの分は稼げなばならず、落語の穴をトークの稼ぎで埋める不毛な日々が続く。マネーピットと化した一号店の方は、日々積み重なる不協和音封じでエネルギーを削がれ、新店との二刀流も時間を食うばかり。貧すれば鈍すで、アイディアも気力も枯渇していく。一年の後半戦は、惰性というよりもう義務感だけで維持していた感があり、正直店を開けるのも苦痛だった。

途中体を壊して倒れたり、アクシデントの類も多かったが、運のせいにすると神の存在を認めねばならず、宗旨にあわない。あくまで考えと脇が甘かったからだと考えたい。

なにより、不測事が起きたとしても、他に代えがたい存在ならもっと必死に抵抗したはずだと思う。

破綻していく諸々を見ながら、崩壊を押しとどめようとする手があまり動かなかった。ぼんやりと崩れていくあれこれの経過を見ながら、「ああ、やっぱりな。こう言うものか」と抗う気力も薄く、ぼんやりと立ち尽くす時間のほうが長かったように思う。やはり、気が入っていなかったのだとおもう。

ことにおいて、密度高く、仕事量をこなしていれば真剣と言うわけではない。
何より大事なのは、切実さだ。

退店用に荷物を片付けて、店の鍵を業者に戻した今、疲労感だけが募る。

しかし、身を切るような痛みはやはり感じていない。

悔しい気持ちはあるが、痛くない。むしろ失って当然と感じる理性の声と、平穏を取り戻した安緒のほうが強い気がする。コンテンツをきちんと自分で仕切ったという当事者感が薄く、終始他人のお手伝い/お膳立て屋でしか無かったからだろうか。

皮一枚の切実さの不足。
それがこの顛末を呼んだのだと思う。

これまでもとかく物好きで、儲からない仕事、実りの薄い稼業にばかり手を出すなと自分でも思ってきた。ヒトに事さらにその意義を問いて回ることはしなかったが、その一個一個にはそれなりの必然があり、成果もあったように思う。

少なくとも今回のように、「俺がやっててもいいのかな」という妙な居心地の悪さを感じていた案件はなかった。

ただ全てが終わった今、物理的・金銭的損失は結構大きかった。
今後は「切実さを感じない」案件に時間を費やすのはやめようと思う。

この空疎感を味わうのはもう二度とゴメンだ。
その一点に関してのみ、非常にリアルな痛みを感じている。

落語興行自体はHigh Voltage Cafeでも引き継いで運営するが、専業の前のめりはもうできないと思う。
あくまで平日の興行として、今まで繋いだご縁の延長線上で、できる範囲のことを粛々とやっていくようにしたい。やはり自分のよく知らないことに、何の伏線もなく手を出すのは僭越だったなと反省しきりである。
18 12月

スター・ウォーズはまだ見ない

一個目の店を畳む準備で夜中までクソ忙しい。

塒も郊外に移さねばならず、同時進行で2つ引っ越しを抱えた状態。年末までみっちり続くイベントをこなしつつの死のロード。私生活でもトラブル勃発の上に、来年に向けて2つ大きめのミッションの仕込みも平行しており、盆暮れ正月に山崩れと津波とゴジラが集合した勢いだが、こればかりは逃げるわけにもいかず。当分寝食削って歯を食いしばるしかない。

体調が良いときならまだしも、ヤブ医者様の血液垂れ流し治療の後遺症で、まだ階段の昇り降りに動悸が気になる。絶賛半病人状態だ。時折、朝礼でぶっ倒れる手弱女の如き立ちくらみに襲われるのも辛い。頑丈しか取り柄のなかった人間なので、メンタルの挫折感が思いの外キツイのである。

加えてこのところの殺人的寒波で腰も不安。あちこちボロボロで、もう一回倒れたら多分ゲーム終了。正直、薄氷の綱渡り。今日も一個とんでもない大失敗をしでかした。いつも散漫なので、傍目に違いはわからないと思うが、注意力が(いつもに増して)落ちているようだ。気をつけねば。

おまけに弱り目に祟り目で、店常駐にしていたMac Bookも一台ご臨終(アーメン)。

さすがにこのままでは挫けそうなので、この山を無事超えたら、万博IMAXでSW8鑑賞するのだ、と人参をぶら下げてみる。ーー堺さんを筆頭にアーリーアダプタの方々の大絶賛がすばらしい餌になる。とりあえずルークの老後を観とどけるまでくたばれないぞ(かといってボリス・ヴィアン死もゴメンだがww)と己に言い聞かせて、夜なべに励む。

8 12月

紅葉

 宿で20坪ちょいの我が店の家賃ーーそのひと月分が幾らになるかは、まあ想像してみてくださいな。たかだか一週間弱、五泊六日の旅でその半額ほどをボッタクられて参りました。

 風呂なし、飯抜き、茶の一杯も出ない四人相部屋の蛸壺ーー夜中には老人の「誰か来て〜〜」との息も絶え絶えな絶叫や、喘鳴だのイビキだのが一晩中響き渡る結構なお宿で。

 スーパームーンも見ず。

 羽生の竜王奪還も知らず。

 日馬富士騒動の顛末もまたナニも聞くことなく。

 静かに、ただ寝て起きて。

 飯も食わず、水すら飲まず。

 息も絶え絶えに血まみれのワインみたいな水ウンコをしては、ストイックな装いのお姉さま方のお目汚しに捧げるスカトロプレイと、失神して肛門にCCDカメラをぶっこまれるレイプに翻弄されて。

 これってSM拉致監禁モノの撮影すか? 的な減らず口を叩く気力など、もうどこにも残っていないヘタバリようでしてね。

 ええ。病院です。

 何もかもを削ぎ落としたソリッドなオトコの世界でしたよ。

 何をしでかしたかって?

 臨時の主治医になった、いかにも軽薄そうな初老の内科医が、見た目ほど大げさな話を盛る性分でないのだとしたらーー俺は結構なバンジージャンプを経験したそうですよ。

 三途の川の渡しのちょい手前、管理人小屋のインターホンをピンポンダッシュして、またびよーんとゴムに引っ張られて帰ってきたぐらいの。

 いわゆる下血というやつ。

 前の天皇さまがガンでその状態になって、テレビが毎日「ゲケツ」の連呼をしてたのを覚えているのも、もう40以降の人間だけかもしれませんが。

 そのナニです。

 金曜の午後が初お目見え。

 店を開ける前後、便に赤いものが混じったのを見て、俺もやっと痔の洗礼を浴びるようになったか的な、呑気な思いしか浮かばず放置ーーは、しないでコックを捻って、手を洗って。

 その間、腹も肛門も特に痛むでなし。

 落語会とその後の宴会、粛々と仕事をこなしている間に、病変は腹の中で進行していたとか。

 次に血を見たのは、店の片付けを終えた午前の三時すぎ。

 またその日は最後の宴会が長っ尻でなかなか終わらず、正直フラついてたのは自分でも記憶にあるのだけど、それは客を恨む話ではなく。明日も同じく落語会の予定があり、真っ赤になった便器を見て動揺する余裕もなく。ただただ疲労感にまけて寝床へ倒れ込み。

 その疲労感も、仕事の無理が祟りやがったとしか思ってなかったですよ。

 全然血まみれのトイレットペーパーとダルさが繋がるなんて発想なかったもんで。土曜だから、また睡眠時間削るハメになるけど、午前に起きれば医者は開いてるよなと、自分の身を削る発想しか出てこない。

 11時半に目が覚めて流石にヤバいなと。

 

 うちの店の目の前に土曜12時まで開けてると看板に書いてる内科があるんですが、ここが実はヤブで有名。藪にゃ行きたくねえなと思う深層心理も働いて、受付11時半までという但し書きを読んでなかったのは俺が悪い。

 

 ただこのヤブ医者、腕だけじゃなく性根も悪い。

 11時35分にはシャッターまで降ろして、土曜に病人なんか見てられるかとアピールしやがる。

 この対応を見て、流石にちょっと自分の置かれた立場のヤバさに気が付きましたね。ことによると、東京じゅうの医者がこの調子かもよと。

 家出る直前のトイレはさらに赤が濃くなってたこともあり。泡くって、前に指を切って夜中に駆け込んだことのある、大久保の救急病院へ行く覚悟を固めました。ええ、ざっと三キロ。徒歩で15分。でもまあ時間の心配はまずない。

 まだ病識がないもんで、それでも意外に呑気です。

 道中、蕎麦でも食ってから行くか的な遊山気分で。

 ええ、食ってたらまたも一つエラいことになってたと思いますが。

 たどり着いたときにはさすがにちょっとおかしいなと。

 俺様いくら老けたとは言え、この疲労感はなかろうよと。

 息は切れるわ、目眩はするわ。

 ブッたおれそうになりながら、受付のネーチャンの目の間の開き具合が気になったりして余裕があったんで、それでもまだ死ぬ気は皆無とみえますがね。実はここがバンジーのどん底。

 一昼夜でオイラ2リッター血を失ってたそうですよ。

 成人男子なら普通体重x0.8で血液量を計算するそうで、その伝でいくなら、大体総量の三分の一がダダ漏れ状態。

 よく普通に立ちっぱの店舗営業やってやがったなという。

 ええ。一回仕事に入っちまうと、大方12時間ぐらいは座らないんで。

 バブルの生き残りってか成れの果てってか、整髪料でなでつけた白髪が全然年の功になってない白衣の爺さんが言うには、「顔色は悪いなあと思ったんだけど、そこで輸血する判断は、僕消化器専門じゃないんでつかなくてね」ですってよ。こいつ何年医者やってるか知らないけど、深夜の救急番のインターンみてえなことをいいやがって。

 叫んでいいですか?

「ヒ・ト・ゴ・ロ・シーーーーーー!!」

 まあそんなこんなで。後はずっと寝てました。

 CTくぐったり、まだこの期に及んで血を抜かれたり、夜中にボケ老人ばっかのお化け屋敷で肝試ししたりはありましたが。点滴刺しっぱでずっとなんか腕から水分と薬入れるほかは、生きてる死人みたいなもんで。ただただ寝て暮らして、その間落語イベント三本は全部人任せ。

 こう書いてくると、やっぱひどい話です。すいません>留守番押し付けた方々。

 でも俺ナチュラル半死人のうえに、死神にリベートもらってる医者に肩に手置かれてたもんでね。手も足も出ない。シッコは出たが、もう三日目辺りからは糞も血も出ない。ただの水の管ですからね。フリーの小便水道管、店に行っても何の役にも立たないんで。ホント下げる頭もないぐらいごめんなさいよ。

 とりあえずガンとかではなく、病原菌のなんたらが腹の中で悪さしてるでもなく。

 年食って大腸がヘタれてくると、憩室っちゅう凹みができるそうです。

 まあポリプの逆みたいな、それ自体はなんてことない洞窟風の凹みができて、そこになんか食ったものが引っかかったか、ストレスでキュッと縮んで、擦れたか引っ張られたかで切れて、そこから血がダダ流し。食い物や水の成れの果てが流れてくる間はそれでも大腸は仕事するんで、傷の癒える間がない。

 てんで、拉致監禁されて絶食地獄。まあ理にかなっちゃいるけど、人道的にどうよっていうタコ部屋ですわな。まあ同意書書いてるし、俺の意志に反してるわけじゃないけど。なんか腑に落ちないのは事実。

 さて、寝てる間ナニを考えたか。

 夢とごっちゃになって、なんだかよくわかんないんで書くこともないんですが。

 ただ病院から開放されて、身代金で年越せるか心配になるほどカッぱがれて。その足でなんでか近所の公園に行ったですよ。

 ビルに囲まれたエジプトの王様の墓場みたいなあの公園じゃなくて、近所のせこい砂場とブランコしかないような、言い訳程度のうっすい公園にね。

 そこに一本きりの痩せた紅葉。

 日差しが良くて、まだ赤にも茶にも染まりきってない、へたすりゃまだ若葉まで混じるだんだらのグラデーションが、見事に照り映えましてね。そりゃあ色の大氾濫。萠葱から枯茶まで。若造からボケ老人まで。プランクトンからサル、エテ公が木を降りて、海でケツを守って、二足で歩き出して、石で寝床を囲って、カビみたいに星の表面をびっしり埋め尽くすまで。櫨染、梅紫、小豆、樺、猩々緋、臙脂、赤銅、海老茶、蘇芳、茜が入り乱れてーー一瞬、目眩がぶり返したのかと。

 すべて美しく、鮮やかで、もどかしくて、涙ぐましく、腹立たしくて。

 なんもかんもが統一感なく、突拍子もない思いがぐるぐる巡って、どうにも落ち着かなくなって。あれは、ものの感じ方のダイナミックレンジが狭まったのか、壊れたのか。いちいちの感覚が左右に振り切った感じで、飯なんかもう一週間近く食っちゃいないのに、胃が誰かに握られたみたいになって、吐きそうになったりして。

 あまりの絢爛さに足が竦みました。

 んで思ったんですね。

 もいいや。おらあ、この先好きなことしかしねえ、と。


 ま、そういうわけです。

 今後色々なんか変なことになるかもしれませんが、ご容赦を。

 あの時泣きそうになるのを抑えるには、そう思うしかなかったんで。

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