当初はなぜ今さら冷戦時代の話、それも綺麗に完結していたはずのサーカス物の続編なのかと執筆意図を訝しみ、アシモフの如く、過去作品のタペストリ化願望に取り憑かれたではないかと、かなり構えて読み始めた

しかし、その懸念は(ありがたいことに)杞憂に終わった。

本作にケンブリッジ・サーカスの幽霊一座が呼び戻されたのには、十分な理由がある。決して「あのスターは今」的な懐メロ番組を演じさせるためではない。2017年の世界情勢(そしてイギリス)に対する異議申し立てーーこの半世紀ずっとル・カレ作品が描いてきた主張と世界の現状との離反・衝突を描くためには、どうしても20世紀・冷戦時代の亡霊たちを現代に召喚する必要があったのだ。

執筆の大きな動機となったのは、昨年に巻き起こったブレグジットへの動きーー国際協調に背を向け、内向きに傾斜する盲目的な保守回帰への抗議だろう。

冷戦期間という悪夢の時代を、まるでなかったことのようにし、協調から対立へと再び歴史を逆流させようとしている世論に対する怒りが、この作品を書かせたのではないかと思うのだ。

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かつて闇に葬られたスパイたちの暗闘の記録ーー『寒い国から帰ってきたスパイ』の主人公であったアレックス・リーマスらの事件を、その子孫たちが国家賠償という形で世に出し、被害家族を名乗ることで儲け話にしようという。その結果、作戦の立案・実行に関わったジョージ・スマイリーとその部下ピーター・ギラムは、“被告”として法廷に引きずり出されようとしている。

ジョージは事件の勃発を察知したかのように姿を消しており、唯一連絡がつくギラムが、その代理人として現情報部の呼び出しを受ける。リーマス事件の顛末を記録した書類はすべて省内から持ち出されて、かつてジョージの設置した隠れ家に隠匿されていたーー書類持ち出しの当事者でもあり、“被告側”の一人でもあるギラムは、弁護士チームたちと書類を読み解き訴訟対策を練らされる羽目となる。しかし、リーマスの死に関連して、ギラム自身にはどうしても探られたくない「個人的な秘密」があった…。

そんな“訳あり当事者”ギラムの視点を借りて、時に命を失い、時に人生を棒に振ったスパイたちの悲惨と、その後家族たちが辿った暗く重い末路、その運命の堆積層をル・カレは丹念に採掘して行く。

苦痛と悔恨に満ちた逆打ち巡礼の旅はやがて、ギラムが慎重に嘘の山に紛れ込ませた「至極個人的な事情」の地層にまで至る。生爪を剥がれるような記憶のリバウンドに苦悶する彼の姿は、冷戦構造により踏みにじられた何百万もの「虐げられた人々」の魂に呼応するものだ。(その隊列にはもちろん無残な死を遂げたリーマスとその恋人エリザベスも含まれる。)

かつて『寒い国から』は冷戦最前線の非情な実相を描いたが、ル・カレは今作でさらにその深奥部に踏み込み、市民の気まぐれな感情が、理と知でかろうじて保たれてきた平和の防波堤をたやすく押しながしてしまうーー国家の気分/世論形成の構造自体に怒りを振り向けているように感じた。

安易に保護主義に回帰していけば、戦後半世紀を越える冷戦スパイたちの密かな活動の意義は無になり、ふたたび社会は野蛮な「戦の季節」へと逆戻りすることになる。

今回のサーカスの“敵”は、かつての「寒い国」の同業者たちではなく、同じ英国に属しながら、目先の利得しか目に入らず、歴史から学ぶことのない一般市民ーーひたすらこすっからく、負け犬意識に憑依されたリーマスの子孫たち。

いわばこれまでスマイリー達スパイが“身を削って”守護してきたはずの国家=英国国民の意志と対決する羽目になったのである。その浅薄さはEU離脱に奔った保守派の高齢/中年層のキャラクターにストレートに重なる。一度は克服されたかに見えた“英国病”の根強い再噴出であり、最後のあがきでもある。母国イギリスを支配する国民の愚昧を、ル・カレの筆は容赦なく告発していく。

今作で、冷戦当時“絶対悪”の象徴のように描かれていたムントやカーラら「寒い国」の悪玉たちの存在が、かつてになく矮小に描かれているのは、衆愚の悪との意図的な対比を狙ったものだと思う。

時の権力者は所詮ポピュリストでしかない。そもそも暴虐の主は誰に操られてきたのか。そして「21世紀の悪霊」は国家の何処に宿り、どのような手順で平和を脅かすのかーー2017年現在のル・カレの問題意識のありかを、そこから読み取るべきなのだろう。

かつてのスマイリー三部作や『パーフェクトスパイ』のようなどっしりした大作ではさすがにない。しかし、それも決して年齢で筆力が鈍ったからではないと思う。「今これを言わねば」というル・カレの切迫感が作品をコンパクトにしたのではないか。テーマの時事性から言っても、緊急ステートメントとして書かれた作品だったと見るべきだろう。

無論、御年86歳という彼自身の肉体の“耐用期間”切れで、作品の骨子となる最後の“大演説”が世に残せない危険を鑑みて、端折った部分はあるに違いない。特にジョージ・スマイリー失踪の解明は非常にあっさりしていて、かつてのル・カレなら、もう一章か二章分は読者を引きずり回しただろう。(肝心の裁判の顛末に至っては……あまりにも見事な“整理”ぶりに唖然とするほかない。)

そうした惜しさはあるものの、ル・カレらしい細部の緻密さ、芳醇さ、「無味乾燥な記録文書」の解読から刹那の人生を浮かび上がらせる文学的趣向は、相変わらず見事なもの。夜を徹して読むにふさわしい作品だった。