の手の官僚スキャンダルが噴出する度に、政治家の圧力の強大さを、陰謀論のように言う人が多いが、安倍の圧力が絶大だから官僚が詰腹を切らされるのではない。

極論すれば、彼らは安倍など恐れてはいない。

チョンボを連続し、幼稚な見え張り発言ばかりを繰り返す愚かさは(尻拭いの大変さ故に)脅威であるが、もし彼らがその気になれば、逆に安倍の首を飛ばすぐらいの秘密はいくらでもリークできるし、ハメることもできるのだ。怖いわけがない。

危なっかしいバカをどうしても守らなければならない、というのが彼らの生存ルールの第一義にあるから、重荷なだけなのである。いわば、安倍は彼らの保護対象であって、神でも主人でもないという位置づけ。彼らはその上位概念である「日本国政府」というカルト組織に忠誠を誓っており、組織への帰属意識とプライドが異常に肥大しているゆえ、「元首」※の座を支える黒子のボディガードに徹し、窮時には迷わず身を挺するのだ。

(※日本では、現在「元首」の地位は制度上定められていない。内閣総理大臣と天皇のいずれを国家元首とするかは議論が分かれるところだが、ここではあくまで実勢を踏まえた“最高権力者”の意として使っている。)

般人にはなかなか理解不能な論理だが、そこにはヴァルカン人やクリンゴン人と同じぐらいの距離を隔てて、霞が関の住民にしか共有できない独特のメンタリティがある。

それが故に、彼らは恥をいとわずあからさまな嘘をつき、何が何でも事の次第を隠蔽しようと務めるのだ。

それは、基本、霞ヶ関に代々エリート官僚を送り込んできた官僚一家出身の人間にしかわからない、生理的な感覚なのだとおもう。彼らは代々、役人の子に生まれ、役人になるべく育てられ、結婚してまた子が出来れば役人に育てる。

無論、キャリアの登用は試験制度であり、一代で飛び込んでくる者も多いが、その基調を守り、周囲からも重用され、水に馴染んで生き残るのは、代々公務員の家に生まれた官吏生え抜きの割合が高いと聞く。自ずとそこには梨園にも似た、代々を重ねた閉鎖系にだけ通用する、奇妙な論理が形成されてきた。

らにとって「体制に背く」のは恥であり、身の破綻という感覚がある。民主党政権時にアンチ政権の抵抗運動を繰り広げたのは稀な例外で、小沢一郎の「高級官僚には一度全員辞表を出してもらい、従うと意思表示した者のみを再雇用」という発言に「お家簒奪」の判断を下したからだ。

小沢は官僚の気質と能力を熟知しているつもりで政権奪取早々に締め付けをぶち上げたわけだが、所詮それは「埋蔵金」問題と抱合せで霞が関を叩き、選挙民の喝采を受けようとしたスタンドプレーであり、官僚の好む根回しや先々の補償を抱き合わせの談合を全くやらずにいた。官僚の番頭根性を安く見積もったのだと思う。軽々にシステムや価値観の変更を彼らに迫ることが、どんなに危険行為であるかは、さすがに察知していなかったのだろう。

基本彼らには、誰よりも自分たちが国を支えているという自負がある。その仕事ぶりを正面から批判した民主党は、あの段階で「主君」から「逆賊」となったのだ。

その点、安倍自身は基本暗愚で、彼らの脅威には映らない。小沢のように、彼らの巣を揺さぶり、やり口やシステムを変えるという屈辱を与えようとはしない。幼稚な失言を繰り返すばかりで、利権誘導のサイズもセコく、せいぜい身内の依怙贔屓に必死なレベル。官僚にすれば「桜を見る会」の出費など、子供に飴を与えてムズからせないようにしている程度の話なのだ

の“子供の王様”の背後には、自分たちの身内=経産省出身の総理秘書官の今井尚哉が控えており、実質的な政策運営は影の総理である彼が仕切っている。現政府は事実上官僚主導の院政状態。彼らにとって重要なのはむしろそちらだ。

省同士の縄張り争いや、反目はあるにせよ、官僚同士の大枠での共犯意識は強固だ。官僚出身者がバカ殿を担いで国の実権を握っている現体制は、彼らにとって非常に心地が良いのだ。

今井は“いい天下り先”を見つけたOBに等しくーー内閣人事局設置など角逐材料は多々あるにせよーー官僚の思考パターンや生理を把握しており、諸事夢見がちな政治家と違って、実務ベース算盤ずくの話ができる。いわば“アイコンタクトが効く”、非常にやりやすいカウンターパートナーなのである。

従来であれば、与党の長である総理大臣は安倍のように与し易くない。仮にも切った張ったでトップに立った政治家である以上、知性もそれなりに高く、エリート官僚であってもそうそう簡単に屈服させることはできない。エゴも強く、一筋縄では行かない霞が関官僚に対する警戒心も強い。

まして、形の上では政府の長。あくまで官吏はその従卒である。通常は総理が己の政治信条と国家の情勢を鑑みながら国の進路を定め、官僚が脇を固めるのが常道である。

だが、現政権の長は定見が無いに等しい。ただのお神輿に過ぎない。見栄っ張りの世襲議員が、奇跡的に政争を勝ち抜いてその地位に立ってしまったのである。そしてその中身の無さに乗じて、はぐれ官僚の一人が、まるで孝謙上皇の世の弓削道鏡の如く取り入って、ぬるりと政権の舵を握ってしまったのだ。ーー多分戦後日本の憲政史上いまだかつて無かったような、異常な状態である。

官僚たちもそれが千載一遇であることを知っている。だから安倍がどんなチョンボをやらかしても、この体制を変えることをしたくない。だから常識では考え得ないようなやり口で、安倍の失敗を隠蔽し、嘘と弥縫を繰り出してーーまるで天下りOBの利権を確保してやるように、この奇跡の傀儡廻し状況を守ろうと務めるのだ。

万事は、己のプライドと組織への忠誠心、そして国家を操る万能感ゆえに、だ。

かし、その実態をメディアが暴くのはあまりに難しい。官僚族の独自の価値観や思惑ーーいわば“本能”ゆえに起こしたこれらの暴走をストレートに告発しても、それを言い立てるための「具体」の材料は少ない。特殊な心理特性を言い立てて、記事に仕立ても、ファクトの裏打ちが難しいこの事情は、世間には多分通じない。逆にメディアが霞が関憎しで書いた、官僚蔑視や政治的偏向のトンデモ記事に見えてしまうからだ。

結局表面的な“客観的事実”のみを継ぎ合わせた、事の本質を避けた曖昧な記事しか書くことが出来ない。

要は「お家大切」と「忠義」に凝り固まった、江戸時代のサムライ官僚たちがまだ霞が関には跋扈しているのだと思って貰えば、少しは通じるだろうか?

消費税に固執した財務省の病的な保守性も、いわばその気性の反映でしかない。

しばしば疑獄やスキャンダルに関連して、高級官僚が自殺して事件の幕をいてしまうことがあるが、あれは武士の切腹と同じなのだと、個人的には思っている。

一死を持って「お家お取り潰し」を免れ、可能なら子孫に家督を禅譲できるよう、仲間にのみサインを送り、恥を一身に背負って彼らは死を選ぶのである。

安倍政権の巨大権力の幻影は、そうした官僚の狂気に支えられているのだ。